2012年05月17日
岡本太郎
岡本太郎の生誕100年は偶々というか東日本大震災の年だった。
3・11はこの国の抱えている問題を一気に浮彫にしたにも関わらず
事の本質にせまる言葉は中々表面に出てこない。
現実離れした凄まじい光景の目くらましによって瞳孔さえも狭められて
しまったのだろうか、自らの善良さを担保するかのような耳触りの好い言葉が
フワフワと漂いずしりと重い言葉はいつだってそうだが自分で見つけるしかない。
我々は相も変わらずその場しのぎでしか生きてないというか、その思い込みから
逃れて生きる術を見つけ出せずにいる。
人間としてどう生きるか?生きる目的は何か?とか、そんな問いかけは猪口才だと
岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読んでそう思った。
「あなたは”常識人間”を捨てられるか」と副題にある。
このブログをコモンセンス クラブとしたのはその思いがあってのことである。
どうして人は滅びたくないと考えるのだろう。悲観論も楽観論も実は同じ心情の裏表に
すぎないのだ。滅びたっていいじゃないか。当たり前のことぼくはそう思う。
四半世紀も前の言葉だが3・11以降であろうが太郎氏はその言葉を自ら引き受けただろう。
滅びの予感を生きるのは人間の宿命だ。生と死はパラレルだと改めて思う。
だが覚悟の程を問われると心もとない。何しろちょっとした痛みにさえあたふたしてしまう
自分がいる。
3・11はこの国の抱えている問題を一気に浮彫にしたにも関わらず
事の本質にせまる言葉は中々表面に出てこない。
現実離れした凄まじい光景の目くらましによって瞳孔さえも狭められて
しまったのだろうか、自らの善良さを担保するかのような耳触りの好い言葉が
フワフワと漂いずしりと重い言葉はいつだってそうだが自分で見つけるしかない。
我々は相も変わらずその場しのぎでしか生きてないというか、その思い込みから
逃れて生きる術を見つけ出せずにいる。
人間としてどう生きるか?生きる目的は何か?とか、そんな問いかけは猪口才だと
岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読んでそう思った。
「あなたは”常識人間”を捨てられるか」と副題にある。
このブログをコモンセンス クラブとしたのはその思いがあってのことである。
どうして人は滅びたくないと考えるのだろう。悲観論も楽観論も実は同じ心情の裏表に
すぎないのだ。滅びたっていいじゃないか。当たり前のことぼくはそう思う。
四半世紀も前の言葉だが3・11以降であろうが太郎氏はその言葉を自ら引き受けただろう。
滅びの予感を生きるのは人間の宿命だ。生と死はパラレルだと改めて思う。
だが覚悟の程を問われると心もとない。何しろちょっとした痛みにさえあたふたしてしまう
自分がいる。
タグ :岡本太郎
2012年05月13日
分かり易さの底
北島三郎が好きか嫌いかは別として歌の上手さには感心する。
歌の背後にしっかりと育ててきた職人芸みたいなのを感じる。
だがサブちゃんファンがなりきって歌ってるのは殆どが勘違いというか
聴くに堪えない。北島三郎は全然がなってません。
みつおの言葉は分かり易い。
日本中あちらこちらの壁に貼り付けてあるだろう。別に変わったことは言ってない。
すでに誰の頭にもあったことを示しただけである。
それで感動したからといって人間が変わったと言う人を私は寡聞にして知らない。
少なくとも私の周りでは・・・
人のモチベーションは感動を含めた情動にあるのはいうまでもない。
でもそれはきっかけで分かるというのはその先にある。
感動は普通そこに行くまで持たない。
感動は伝えやすいが問題はそこから先である。
金子みすゞの詩も同じで今は万人受けしているが
100年も前にあの感性だと生きにくかっただろう。だから自殺した。
まともに考えたら矛盾の間を揺れ動くしかない。
しかし人は両極のどちらかにつこうとする。
北島三郎、相田みつお、金子みすゞ
分かり易さの底を覗かせてくれる。
歌の背後にしっかりと育ててきた職人芸みたいなのを感じる。
だがサブちゃんファンがなりきって歌ってるのは殆どが勘違いというか
聴くに堪えない。北島三郎は全然がなってません。
みつおの言葉は分かり易い。
日本中あちらこちらの壁に貼り付けてあるだろう。別に変わったことは言ってない。
すでに誰の頭にもあったことを示しただけである。
それで感動したからといって人間が変わったと言う人を私は寡聞にして知らない。
少なくとも私の周りでは・・・
人のモチベーションは感動を含めた情動にあるのはいうまでもない。
でもそれはきっかけで分かるというのはその先にある。
感動は普通そこに行くまで持たない。
感動は伝えやすいが問題はそこから先である。
金子みすゞの詩も同じで今は万人受けしているが
100年も前にあの感性だと生きにくかっただろう。だから自殺した。
まともに考えたら矛盾の間を揺れ動くしかない。
しかし人は両極のどちらかにつこうとする。
北島三郎、相田みつお、金子みすゞ
分かり易さの底を覗かせてくれる。
2012年05月08日
テイラー914
ギターを始めて手にしたのは17の頃だったと思う。大昔である。
ギターに惹かれてというより歌が好きでその伴奏用で覚えた。
耳のせいもあったろうがちっとも上手くならなかった。
今も上手くない。要するに才能がない。
19の時初めて作った曲を歌のレッスンをつけてもらっていた作曲家に見せたら
褒めてくれた。
調子に乗って当時としては斬新的な音楽雑誌『guts』(集英社)の
作詞・作曲コーナーに応募したら優秀作品として掲載された。
ところが20歳を過ぎた辺りから全く作れなくなった。
再び作れるようになったのは40も後半からである。
東京で弾き語りをしてた頃は3万円位のギターを使いまわしていた。
新曲を覚えるだけで練習もしないから上手くはならない。
よくやっていけたと思う。
今スタジオで生徒の歌のレッスン用にヤマハとテイラーのエレガットを使っている。
ギターに興味を持ち出したのはここ数年である。
去年の7月
テイラーのスチールが欲しくてヤフオクを覗いているうちついついというか
テイラー914を落札してしまった。
観ただけで触りもせずと笑われそうだが余程のことが無い限り新品に当たり外れは
無いと思う。ビンテージを見る目はない。
見た目も音も気に入ってるが年寄にはテンションが少しきつい
店というかスタジオには持っていけない。
タカミネのギターを二度程引っ掛けられてだめにした。
テイラーの場合笑って済ませる自信はない。
弾き語りは座ってと思っていたが去年の暮れ初めて立ってみた。
重い~齢ですね・・・

ギターに惹かれてというより歌が好きでその伴奏用で覚えた。
耳のせいもあったろうがちっとも上手くならなかった。
今も上手くない。要するに才能がない。
19の時初めて作った曲を歌のレッスンをつけてもらっていた作曲家に見せたら
褒めてくれた。
調子に乗って当時としては斬新的な音楽雑誌『guts』(集英社)の
作詞・作曲コーナーに応募したら優秀作品として掲載された。
ところが20歳を過ぎた辺りから全く作れなくなった。
再び作れるようになったのは40も後半からである。
東京で弾き語りをしてた頃は3万円位のギターを使いまわしていた。
新曲を覚えるだけで練習もしないから上手くはならない。
よくやっていけたと思う。
今スタジオで生徒の歌のレッスン用にヤマハとテイラーのエレガットを使っている。
ギターに興味を持ち出したのはここ数年である。
去年の7月
テイラーのスチールが欲しくてヤフオクを覗いているうちついついというか
テイラー914を落札してしまった。
観ただけで触りもせずと笑われそうだが余程のことが無い限り新品に当たり外れは
無いと思う。ビンテージを見る目はない。
見た目も音も気に入ってるが年寄にはテンションが少しきつい
店というかスタジオには持っていけない。
タカミネのギターを二度程引っ掛けられてだめにした。
テイラーの場合笑って済ませる自信はない。
弾き語りは座ってと思っていたが去年の暮れ初めて立ってみた。
重い~齢ですね・・・

2012年05月02日
大人の定義
最近テレビなどでもよく取り上げられるが「大人の定義」は難しい。
知らぬうちに二十歳をやり過ごし大人の自覚のないまま問いだけは発していた。
1980年代、世はバブルへと向かうなか「ピーターパン症候群」という言葉が
注目された。いつの世も若者は社会の写し絵だ。
金儲けに奔走するうち人間性を麻痺させていく大人たちに対する無意識の反抗
だったのかも知れない。
その時代を象徴する歌手が尾崎豊だった。20歳で音楽活動をいったん休止してしまった
彼の思いとは・・・
そして今大人になることが益々困難になってきている。だから若者は新たな
コミニュケーションモデルを模索する。そして新たな共同体のなかでの大人を
演じてみる。
昔はそう難しいことではなかった。
成人式の制度は明治になってからだという。それまでは元服で名も変わった。
共通認識としての社会の枠組みさえしっかりしてれれば大体大人になれたのだ。
社会とは通過儀礼によって誰でも大人になれるシステムを組み込んできたのだろう。
都市化(脳化)と共にそれが崩れた。通過儀礼によって誰でも大人になれる時代では
なくなったのだ。コミニュケーション能力(ここでは自分の頭で考え自分の言葉で
語る)が問われているのだろう。
あらゆるステージに於ける二極化がそのことを象徴しているのかも知れない。
私にとってロールモデルは30数年来養老孟司氏である。
知らぬうちに二十歳をやり過ごし大人の自覚のないまま問いだけは発していた。
1980年代、世はバブルへと向かうなか「ピーターパン症候群」という言葉が
注目された。いつの世も若者は社会の写し絵だ。
金儲けに奔走するうち人間性を麻痺させていく大人たちに対する無意識の反抗
だったのかも知れない。
その時代を象徴する歌手が尾崎豊だった。20歳で音楽活動をいったん休止してしまった
彼の思いとは・・・
そして今大人になることが益々困難になってきている。だから若者は新たな
コミニュケーションモデルを模索する。そして新たな共同体のなかでの大人を
演じてみる。
昔はそう難しいことではなかった。
成人式の制度は明治になってからだという。それまでは元服で名も変わった。
共通認識としての社会の枠組みさえしっかりしてれれば大体大人になれたのだ。
社会とは通過儀礼によって誰でも大人になれるシステムを組み込んできたのだろう。
都市化(脳化)と共にそれが崩れた。通過儀礼によって誰でも大人になれる時代では
なくなったのだ。コミニュケーション能力(ここでは自分の頭で考え自分の言葉で
語る)が問われているのだろう。
あらゆるステージに於ける二極化がそのことを象徴しているのかも知れない。
私にとってロールモデルは30数年来養老孟司氏である。
2012年04月29日
朝まで生テレビ
「激論!in沖縄・沖縄米軍基地問題」を先日観た。
この問題はこれまで何度か朝生で取り上げられたが、問題にする以前の問題と
いうかどうしても感情論的になってしまいがちなところがあったりして観てる
側もしんどかった。
1980年代だったろうか、週間文春に各都道府県を面白おかしく笑う言葉遊びの
投稿ページがあったが沖縄は触れられなかったのか或いは取り上げられなかったと思う。
そのことに対して選者だった糸井重里氏の言葉が印象に残っている。
沖縄が本土並みになるということは例えば「千葉の女が乳搾り」とか「だ埼玉」みたいに
沖縄が平気で笑われる状況になった時だとか書いていた。
その意味では今回の朝生は国民的意識もその状況に近づいたのか議論の場になってたかな
番組を観てて思ったのは情報として自分の知らないことだらけだということ、そして
それが一般的で、分かれば答えが見つかるというものでもなさそうだということ
トラウマがベースになってる方もいるのも仕方ないとは思う。人が行動を起こすのは
世のため人のためよりきっかけはそういうことなのだろう。
ただ自らの正しさは何によって担保されるのかを念頭に置くべきで、それは政治家や
ジャーナリストが陥りやすい大衆の支持などではない。
痛みは本人にしか分からないという事実の捉え方は結構難しいのだ。
米軍基地問題は言ってみればアメリカ、日本、沖縄の三体問題で、だとしたら解はない。
そこに中国が絡めばさらにややこしくなる。(近似値はあるだろうというか近似値しかない)
これが原発問題と構造的に一緒で犠牲のシステムという見方も多い。
しかし気になるのは最近の地方選挙において反原発を掲げた候補者が悉く敗北したという
事実である。
背に腹は代えられぬが民意なのだろうか・・・
この問題はこれまで何度か朝生で取り上げられたが、問題にする以前の問題と
いうかどうしても感情論的になってしまいがちなところがあったりして観てる
側もしんどかった。
1980年代だったろうか、週間文春に各都道府県を面白おかしく笑う言葉遊びの
投稿ページがあったが沖縄は触れられなかったのか或いは取り上げられなかったと思う。
そのことに対して選者だった糸井重里氏の言葉が印象に残っている。
沖縄が本土並みになるということは例えば「千葉の女が乳搾り」とか「だ埼玉」みたいに
沖縄が平気で笑われる状況になった時だとか書いていた。
その意味では今回の朝生は国民的意識もその状況に近づいたのか議論の場になってたかな
番組を観てて思ったのは情報として自分の知らないことだらけだということ、そして
それが一般的で、分かれば答えが見つかるというものでもなさそうだということ
トラウマがベースになってる方もいるのも仕方ないとは思う。人が行動を起こすのは
世のため人のためよりきっかけはそういうことなのだろう。
ただ自らの正しさは何によって担保されるのかを念頭に置くべきで、それは政治家や
ジャーナリストが陥りやすい大衆の支持などではない。
痛みは本人にしか分からないという事実の捉え方は結構難しいのだ。
米軍基地問題は言ってみればアメリカ、日本、沖縄の三体問題で、だとしたら解はない。
そこに中国が絡めばさらにややこしくなる。(近似値はあるだろうというか近似値しかない)
これが原発問題と構造的に一緒で犠牲のシステムという見方も多い。
しかし気になるのは最近の地方選挙において反原発を掲げた候補者が悉く敗北したという
事実である。
背に腹は代えられぬが民意なのだろうか・・・
2012年04月24日
棺一基
ETV特集「失われた言葉をさがして、辺見庸、ある死刑囚との対話」
3・11の破局の末、我々にどのような言葉が残されているのか・・・
重かった。辺見氏の言葉というか存在そのものがそう感じさせるのだが
この企画は見入った。
1974年三菱重工爆破事件、学生運動が様々な形で破たんしていく中でも
最も悲惨な結末だった。
犯人のひとり大道寺将司は死刑が確定した10年後、1996年から俳句を
始めたという。
辺見氏は刑務所に通い極限の状況で放たれる彼の言葉を通して失われた言葉を
探ろうと試みたのだろう。
辺見氏は被災地石巻の出身で3・11から9か月経ってから故郷を訪れ
いたわりや思いやりに満ちた言葉をいくら重ねても深みには届かないと
あらためて言語表現の限界を感じたという。
人を結びつける言葉はややもすると人の記憶まで一律にしてしまう
個はそこに埋もれ自分が自分であることすら語れなくなる。
辺見氏の試みは2012年4月17日
棺一基 大道寺将司全句集として出版された。
アマゾンから昨日届いた。まだ読んではいないが・・・
3・11の破局の末、我々にどのような言葉が残されているのか・・・
重かった。辺見氏の言葉というか存在そのものがそう感じさせるのだが
この企画は見入った。
1974年三菱重工爆破事件、学生運動が様々な形で破たんしていく中でも
最も悲惨な結末だった。
犯人のひとり大道寺将司は死刑が確定した10年後、1996年から俳句を
始めたという。
辺見氏は刑務所に通い極限の状況で放たれる彼の言葉を通して失われた言葉を
探ろうと試みたのだろう。
辺見氏は被災地石巻の出身で3・11から9か月経ってから故郷を訪れ
いたわりや思いやりに満ちた言葉をいくら重ねても深みには届かないと
あらためて言語表現の限界を感じたという。
人を結びつける言葉はややもすると人の記憶まで一律にしてしまう
個はそこに埋もれ自分が自分であることすら語れなくなる。
辺見氏の試みは2012年4月17日
棺一基 大道寺将司全句集として出版された。
アマゾンから昨日届いた。まだ読んではいないが・・・
2012年04月19日
バブル
時代とはその渦中に在る時、自分達が置かれている状況を把握出来ない
というか変だとは思わないのかも知れない。
後にバブルと称されたのもそれがはじけてからだし、21世紀になってやっと
少しずつ見えてきた感がある。
「坂の上の雲」ではないが日本人が目指してきた坂の頂きは今思えば
とんでもない世界だった。
赤坂にあったビルの3階で15坪程の店をやってたが85年ごろ立ち退きの
話がきた。決まるまで3年近くかかったが、私が書いた概算要求がそのまま
受け入れられた。金額は5200万だった。
代替物件取得に2000万、税金に千数百万、弁護士に2百万、その他諸々で
手元にはそれほど残らなかった。
私は麻布十番に住んでたが地上げで当時話題になった人物が坪2,3千万で買い漁り
空地が目立っていた。近くに知り合いの煙草屋があったが父親が亡くなり相続税が
6億とかという話だった。グーグルで見てみると空き地というか駐車場になっていた。
当然手放したのだろう。払える訳がない。
ケーブルテレビで「むこうぶち」というバブル時代の裏麻雀の世界、フリーの雀荘で
繰り広げられる人間模様などを描いた映画をやってた。
あの頃なら事実あったろうと思わせる作品だった。
私も出入りしてた雀荘でテッシュの箱の上を切り取り札束を放り込みながら打ってるのを
何度か目にした。
集団の狂気ではないがほんの一握りを除いて誰もが異常だったと思う。
あれから20年、人は賢く、そしてやさしくなったのだろうか・・・
というか変だとは思わないのかも知れない。
後にバブルと称されたのもそれがはじけてからだし、21世紀になってやっと
少しずつ見えてきた感がある。
「坂の上の雲」ではないが日本人が目指してきた坂の頂きは今思えば
とんでもない世界だった。
赤坂にあったビルの3階で15坪程の店をやってたが85年ごろ立ち退きの
話がきた。決まるまで3年近くかかったが、私が書いた概算要求がそのまま
受け入れられた。金額は5200万だった。
代替物件取得に2000万、税金に千数百万、弁護士に2百万、その他諸々で
手元にはそれほど残らなかった。
私は麻布十番に住んでたが地上げで当時話題になった人物が坪2,3千万で買い漁り
空地が目立っていた。近くに知り合いの煙草屋があったが父親が亡くなり相続税が
6億とかという話だった。グーグルで見てみると空き地というか駐車場になっていた。
当然手放したのだろう。払える訳がない。
ケーブルテレビで「むこうぶち」というバブル時代の裏麻雀の世界、フリーの雀荘で
繰り広げられる人間模様などを描いた映画をやってた。
あの頃なら事実あったろうと思わせる作品だった。
私も出入りしてた雀荘でテッシュの箱の上を切り取り札束を放り込みながら打ってるのを
何度か目にした。
集団の狂気ではないがほんの一握りを除いて誰もが異常だったと思う。
あれから20年、人は賢く、そしてやさしくなったのだろうか・・・
2012年04月14日
新宿泥棒日記
ケーブルテレビで大島渚監督作品『新宿泥棒日記』を観た。
当時若者にの人気の書、ジャン・ジュネの『泥棒日記』からモチーフを得たのだろう。
1968年夏、舞台は新宿、その年の4月に上京し、新宿西口今の新宿警察署の
向かいを入った辺りに住んでいた私にとっては生々しい映像だった。
世界的な流れだった既成の価値観からの解放を目指して語られる言葉や行動
そしてあらゆるジャンルにおけるブームとしてのファッション等時代を感じた。
誰が主演というより当時の世相を代表する人達、例えばイラストレーターの
横尾忠則という役者としては素人を起用することで時代の生々しさを演出
したかったのだろうか・・・
唐十郎率いるアングラ演劇集団「状況劇場」が花園神社で赤テントを張り新しい
演劇の形が若者に支持された。
書こそ知の象徴でその宝庫だった紀伊国屋書店の名物社長故田辺茂一氏も出演
他にも色んな人の色んな言葉が語られたのだが、その語り口も含めて何か不毛な
感じがしたのは何故だろう・・・
その流れは70年代に入って様々な形で破たんの結末を迎える。
団塊とその周辺の世代をどう括ればよいのか未だよく分からない。
当時流行りの言葉でいえば総括出来ていない。
その数は抜きんでて多いのだが、何故か時代の層としての厚みは感じられない。
ただその世代の試みた様々なことがあらゆる分野において影響を与え続けている
ことは確かだろう。
いつの世も「今時の若い者は」と大人は言う。
当然だろう。既成の価値観を押し付けるのはある意味大人の義務だ。
その義務を引き受ける大人が今は少ない。
押し付けられることによって若者は考え育つ。そしてそれがいつか
エスタブリッシュメント(中央)になり、またフリンジ(周辺)の向こうから
新しいものが生まれる。
我々の可能性はいつの世もその様にして保障されるのだと思うし
社会はその様な形で成り立っているのだろう。
当時若者にの人気の書、ジャン・ジュネの『泥棒日記』からモチーフを得たのだろう。
1968年夏、舞台は新宿、その年の4月に上京し、新宿西口今の新宿警察署の
向かいを入った辺りに住んでいた私にとっては生々しい映像だった。
世界的な流れだった既成の価値観からの解放を目指して語られる言葉や行動
そしてあらゆるジャンルにおけるブームとしてのファッション等時代を感じた。
誰が主演というより当時の世相を代表する人達、例えばイラストレーターの
横尾忠則という役者としては素人を起用することで時代の生々しさを演出
したかったのだろうか・・・
唐十郎率いるアングラ演劇集団「状況劇場」が花園神社で赤テントを張り新しい
演劇の形が若者に支持された。
書こそ知の象徴でその宝庫だった紀伊国屋書店の名物社長故田辺茂一氏も出演
他にも色んな人の色んな言葉が語られたのだが、その語り口も含めて何か不毛な
感じがしたのは何故だろう・・・
その流れは70年代に入って様々な形で破たんの結末を迎える。
団塊とその周辺の世代をどう括ればよいのか未だよく分からない。
当時流行りの言葉でいえば総括出来ていない。
その数は抜きんでて多いのだが、何故か時代の層としての厚みは感じられない。
ただその世代の試みた様々なことがあらゆる分野において影響を与え続けている
ことは確かだろう。
いつの世も「今時の若い者は」と大人は言う。
当然だろう。既成の価値観を押し付けるのはある意味大人の義務だ。
その義務を引き受ける大人が今は少ない。
押し付けられることによって若者は考え育つ。そしてそれがいつか
エスタブリッシュメント(中央)になり、またフリンジ(周辺)の向こうから
新しいものが生まれる。
我々の可能性はいつの世もその様にして保障されるのだと思うし
社会はその様な形で成り立っているのだろう。
2012年04月10日
絆
「永六輔の誰かとどこかで」という長寿ラジオ番組がある。
作詞家としても有名な永六輔の歯に衣着せぬ頑固親父的言動と
大人一般代表的な遠藤泰子の返事と言うかからみが何とも好い。
昨日9日の放送で言葉に拘る作家らしい発言をしていた。
「絆」という言葉が嫌になってきたと・・・言葉自体の問題ではなく
使われ方が気になるのだろう。言葉が汚れてきたとか言っていた。
私も同感である。その言葉でもって自分を担保しようとする使われ方は
言葉を汚してしまうのだと思う。言葉は言葉で表現出来ないものをどう言葉で
抽出していくかという作業でもある。そうやって詩が生まれた。
以前新聞に週いちでコラムを書いていた男がその締め括りに
「私は出来るだけ難しい言葉を避け、皆さんに分かり易い文章を心がけた」
とあって傲慢だと思った。こういう人が言葉を汚し、貧弱にする。
養老先生の本ではないが毒にも薬にもなる話でないとあまり意味がない。
すっかり手垢のついた言葉に「癒し」がある。
心が『安らぐ、落ち着く、洗われる、ほのぼの・・・」などの言葉が
癒されるの一言に括られた感がある。
作詞家としても有名な永六輔の歯に衣着せぬ頑固親父的言動と
大人一般代表的な遠藤泰子の返事と言うかからみが何とも好い。
昨日9日の放送で言葉に拘る作家らしい発言をしていた。
「絆」という言葉が嫌になってきたと・・・言葉自体の問題ではなく
使われ方が気になるのだろう。言葉が汚れてきたとか言っていた。
私も同感である。その言葉でもって自分を担保しようとする使われ方は
言葉を汚してしまうのだと思う。言葉は言葉で表現出来ないものをどう言葉で
抽出していくかという作業でもある。そうやって詩が生まれた。
以前新聞に週いちでコラムを書いていた男がその締め括りに
「私は出来るだけ難しい言葉を避け、皆さんに分かり易い文章を心がけた」
とあって傲慢だと思った。こういう人が言葉を汚し、貧弱にする。
養老先生の本ではないが毒にも薬にもなる話でないとあまり意味がない。
すっかり手垢のついた言葉に「癒し」がある。
心が『安らぐ、落ち着く、洗われる、ほのぼの・・・」などの言葉が
癒されるの一言に括られた感がある。
2012年04月08日
日本のジレンマ
あらゆる所で制度疲労を起こしているのが今の日本だと誰でも
思っているのだろう。でもそれと向き合い改善していくのって大変だろうけど
1970年以降生まれの若き論客達の討論番組NHKの『日本のジレンマ』は
ひとつの試みとして興味深い。
先日放送された第2回のテーマは「民主主義の限界」
サブタイトルは「日本はどこへ向かう」「個人と国家をどうつなぐ」という
極めて今日的かつ普遍的な問題である。
1987年テレビ朝日系列で始まった「朝まで生テレビ」は画期的ともいえる番組だった。
司会の田原総一郎始め、1940年前後生まれのパネリストが中心メンバーでかなり過激な
言動が売りと言うか話題を呼んだ。
今も続いてるがこういう番組のきっかけは時代の要請なのだろう。
この二つの討論番組を比較すると世代による違いが見えたりして面白い。
モナド(遊牧民)的とかキーワードになりそうな言葉もいくつかあった。
これから楽しみな番組だ。
無責任かもしれないが自分も含めてもうもうあまり先のない世代と違って現実的というか
より切実だろう若い世代に日本の方向を考えてもらいたい、大変だろうけど。
それにしても我々団塊世代はそのうち袋叩きに遭うかも・・・
思っているのだろう。でもそれと向き合い改善していくのって大変だろうけど
1970年以降生まれの若き論客達の討論番組NHKの『日本のジレンマ』は
ひとつの試みとして興味深い。
先日放送された第2回のテーマは「民主主義の限界」
サブタイトルは「日本はどこへ向かう」「個人と国家をどうつなぐ」という
極めて今日的かつ普遍的な問題である。
1987年テレビ朝日系列で始まった「朝まで生テレビ」は画期的ともいえる番組だった。
司会の田原総一郎始め、1940年前後生まれのパネリストが中心メンバーでかなり過激な
言動が売りと言うか話題を呼んだ。
今も続いてるがこういう番組のきっかけは時代の要請なのだろう。
この二つの討論番組を比較すると世代による違いが見えたりして面白い。
モナド(遊牧民)的とかキーワードになりそうな言葉もいくつかあった。
これから楽しみな番組だ。
無責任かもしれないが自分も含めてもうもうあまり先のない世代と違って現実的というか
より切実だろう若い世代に日本の方向を考えてもらいたい、大変だろうけど。
それにしても我々団塊世代はそのうち袋叩きに遭うかも・・・
2012年04月06日
琉智ベストセレクト9
アルバム『琉智ベストセレクト9』をリリースして来月で一年になる。
デビーュー40年ということもあり、体力的にもそろそろといった感があって
一昨年から企画し、去年実現した。
今時CDなどそう売れるものではないがたまに反応があると嬉しい。
昨日見ず知らずの宮古の方から電話があってRBCラジオの
「団塊花盛り」で歌を聴いて気に入りCDを買いたいのだがという。
たまたま琉球補聴器さんとの関わりで各店舗に置かせて貰ってるので
宮古支店で買い求め頂くということになった。
先日も生徒が行きつけの美容院のオーナーがお客さんに頼まれたとかで
持っていってくれた。
たまに有線で聴いてとか他府県の方から問い合わせがあったりする。
そんな反応は素直に嬉しい。
ミュージシャンのメジャー離れが進み、メジャーが素人を相手にする時代だ。
昔からあったノルマ制による名貸しみたいなものだろうが
今は年齢制限もなければ見た目、歌唱レベルも問わない。
昔感覚そのままのオジサン、オバサンは賞味期限切れの在庫が山ほどある
作詞、作曲家にはよいカモだろう。
コンピュータのない昔に比べ製作費も安価である。
直接は知らないが私の周りにもそういった自称歌手は掃いて捨てる程いる。
以前、生徒にレコーディング予定だという曲のレッスンを頼まれた。
作家の名は歌謡雑誌などによく出てる人物で五百万で歌手にすると言われたらしい。
実力を知ってるだけに止めた方がよいと忠告したがその後は知らない。
ピアノ伴奏だけのオリジナルCDで三百万支払ったという人もいる。
たまに勘違いで作品を持ち込んでくる人や曲を書いて欲しいと言ってくる人がいる。
若者達はユーチューブ投稿。オジサン、オバサン達は歌手ごっこ
大人になれない時代かね~(他人事ではありませんが)
たまに問い合わせがあるので『琉智ベストセレクト9』の宣伝をさせて頂きます。
一応全国発売になってます。ネットだと大体どこでも購入出来ます。
デビーュー40年ということもあり、体力的にもそろそろといった感があって
一昨年から企画し、去年実現した。
今時CDなどそう売れるものではないがたまに反応があると嬉しい。
昨日見ず知らずの宮古の方から電話があってRBCラジオの
「団塊花盛り」で歌を聴いて気に入りCDを買いたいのだがという。
たまたま琉球補聴器さんとの関わりで各店舗に置かせて貰ってるので
宮古支店で買い求め頂くということになった。
先日も生徒が行きつけの美容院のオーナーがお客さんに頼まれたとかで
持っていってくれた。
たまに有線で聴いてとか他府県の方から問い合わせがあったりする。
そんな反応は素直に嬉しい。
ミュージシャンのメジャー離れが進み、メジャーが素人を相手にする時代だ。
昔からあったノルマ制による名貸しみたいなものだろうが
今は年齢制限もなければ見た目、歌唱レベルも問わない。
昔感覚そのままのオジサン、オバサンは賞味期限切れの在庫が山ほどある
作詞、作曲家にはよいカモだろう。
コンピュータのない昔に比べ製作費も安価である。
直接は知らないが私の周りにもそういった自称歌手は掃いて捨てる程いる。
以前、生徒にレコーディング予定だという曲のレッスンを頼まれた。
作家の名は歌謡雑誌などによく出てる人物で五百万で歌手にすると言われたらしい。
実力を知ってるだけに止めた方がよいと忠告したがその後は知らない。
ピアノ伴奏だけのオリジナルCDで三百万支払ったという人もいる。
たまに勘違いで作品を持ち込んでくる人や曲を書いて欲しいと言ってくる人がいる。
若者達はユーチューブ投稿。オジサン、オバサン達は歌手ごっこ
大人になれない時代かね~(他人事ではありませんが)
たまに問い合わせがあるので『琉智ベストセレクト9』の宣伝をさせて頂きます。
一応全国発売になってます。ネットだと大体どこでも購入出来ます。
タグ :琉智ベストセレクト9団塊花盛り
2012年04月04日
世界一周
生徒の一人が奥さんと世界一周の船旅に出るので3か月程休む。
4月2日に出発だったと思う。
1年前から聞いてはいたがその金額に驚かされる。
一人頭600万円それに300万のプレミアがついて二人で1800万円也
なぜこんな豪華な旅行が出来るのか知ってる人はは知ってる。
団塊世代の彼はキャラも面白というか憎めない性格で人気者である。
なかなか強運の持ち主みたいで人世を楽しんでいる。
再開が楽しみだ。
私は外国旅行といえば23歳の時たまたまプレゼントされてタイ・香港へ1週間
後にも先にもこれだけである。
今でも印象に残っているのはボートでの川下りである。
40年前タイには多くの水上生活者がいて緑色に濁った水で体を洗いコメを研いだり
していた。そしてその近くを犬の死骸がゆっくりと流れていた。
「三尺流れれば蒸留す」流れてさえいれば・・・それを実感した光景だった。
精神も同じだろう。流れずに淀めば腐る。それがトラウマだったりする。
ふと一人旅に思いをはせてみた。
4月2日に出発だったと思う。
1年前から聞いてはいたがその金額に驚かされる。
一人頭600万円それに300万のプレミアがついて二人で1800万円也
なぜこんな豪華な旅行が出来るのか知ってる人はは知ってる。
団塊世代の彼はキャラも面白というか憎めない性格で人気者である。
なかなか強運の持ち主みたいで人世を楽しんでいる。
再開が楽しみだ。
私は外国旅行といえば23歳の時たまたまプレゼントされてタイ・香港へ1週間
後にも先にもこれだけである。
今でも印象に残っているのはボートでの川下りである。
40年前タイには多くの水上生活者がいて緑色に濁った水で体を洗いコメを研いだり
していた。そしてその近くを犬の死骸がゆっくりと流れていた。
「三尺流れれば蒸留す」流れてさえいれば・・・それを実感した光景だった。
精神も同じだろう。流れずに淀めば腐る。それがトラウマだったりする。
ふと一人旅に思いをはせてみた。
2012年04月02日
本当の問題
『問題にすることによって問題になる問題は大した問題ではない』
という言い方があるがそうだろうと思う。
特にマスコミは問題にすることによって成り立つ商売だろうが
放っておけばとか意図的だろうと思うことが多々ある。
一つの視点ととればいいのだろうが空気感が生まれ、それはそれで
人を動かしたりもするが、あまり普遍性はない。
もちろん見るべき番組も増えてるというか、作り手の意識に変化が
感じられたりする。
それに最近というかかなり前からだが若い人から変わり始めている。
人は急には変われない。そういう変わり方はむしろ危ない。
先の大震災も変わるきっかけであって基本的な変化は先のことだと思う。
子供の頃家族や周りがことあるたびに「大変だ、大変だ」と言いたてて
いたことの殆どは実はたいした問題ではなく、本当に問題だったことは
語られなかったような気がする。
本当の問題とまともに向き合うのはしんどいし面倒である。
だからなし崩し的に先送りにする。
しかしそうしたつけは自戒の意味もこめていつかつけが回ってくる。
という言い方があるがそうだろうと思う。
特にマスコミは問題にすることによって成り立つ商売だろうが
放っておけばとか意図的だろうと思うことが多々ある。
一つの視点ととればいいのだろうが空気感が生まれ、それはそれで
人を動かしたりもするが、あまり普遍性はない。
もちろん見るべき番組も増えてるというか、作り手の意識に変化が
感じられたりする。
それに最近というかかなり前からだが若い人から変わり始めている。
人は急には変われない。そういう変わり方はむしろ危ない。
先の大震災も変わるきっかけであって基本的な変化は先のことだと思う。
子供の頃家族や周りがことあるたびに「大変だ、大変だ」と言いたてて
いたことの殆どは実はたいした問題ではなく、本当に問題だったことは
語られなかったような気がする。
本当の問題とまともに向き合うのはしんどいし面倒である。
だからなし崩し的に先送りにする。
しかしそうしたつけは自戒の意味もこめていつかつけが回ってくる。
タグ :本当の問題
2012年03月29日
補聴器
聴こえに関してだけでなく、五感の問題はややこしい。
私が見ているリンゴの赤とあなたの見ている赤は同じか?
と言うクオリアの問題がある。このことは脳科学者の茂木健一郎さんが
ずっと研究している。
聴こえに関しても周波数レベルや音の大きさ等ある程度数値化は出来るが
脳との関係を含め簡単には括れない。
一般的には老化とともに高い音から聴こえにくくなるらしい。だから若者にしか
聴こえない音、例えばモスキート音などがある。
補聴器を使うようになってやがて三年になる。歌っていて内部共鳴でモニタリングに
違和感があったり慣れるまで二年程かかった。
私の聴力は左が障害レベル、右が健常者よりは大分劣るといった所である
左は赤ん坊の時の中耳炎をこじらしたのだろう。
私が一五歳の時に死んだ母の日記が残っていて痛がって泣く子の傍らで自分も泣きながら
書き記したのだろう。ごめん、ごめんの青いインクの文字が滲んでいる。
父親には呼んでるのに返事が無いと飛んできていきなり平手打ちをくらわされた
ことがある。よっぽど虫の居所が悪かったのだろう。殴られたのは後にも先にも
これだけである。
よく聴こえないというのが私にどう影響を与えたかは分からない。そうではなかった
生き方を知ることなど出来るはずもない。
ただ私は無謀にも歌っている時が一番幸せだという理由で歌手を志した。
複数音の聞き分けや小声が聴こえなかったり、それに音がステレオにならない。
若さ故というか無知だったとしかいいようがない。
それに四十歳を過ぎた辺りからずっと左は耳鳴りが続いている。年に二,三度
何かの拍子に止む時がある。
人は多かれ少なかれハンデを抱えているだろうし、だからこそ工夫しながらやって
いけるのかも知れない。私の耳が好かったら恐らくカラオケ教室などやってないと思う。
正直今ですら下手な歌を聴くのは苦痛を感じる。しかし歌は上手い下手に限らず
歌う人の背景がでる。それを見て言葉を選ぶ、そこで変わっていく生徒いたりすると嬉しい。
先日琉球補聴器からPHPという雑誌(地域限定版)に載せるとか「補聴器のある生活」
というテーマでコメント記事を頼まれた。字数制限があったので書き足りないこなど
ここに記してみた。
私が見ているリンゴの赤とあなたの見ている赤は同じか?
と言うクオリアの問題がある。このことは脳科学者の茂木健一郎さんが
ずっと研究している。
聴こえに関しても周波数レベルや音の大きさ等ある程度数値化は出来るが
脳との関係を含め簡単には括れない。
一般的には老化とともに高い音から聴こえにくくなるらしい。だから若者にしか
聴こえない音、例えばモスキート音などがある。
補聴器を使うようになってやがて三年になる。歌っていて内部共鳴でモニタリングに
違和感があったり慣れるまで二年程かかった。
私の聴力は左が障害レベル、右が健常者よりは大分劣るといった所である
左は赤ん坊の時の中耳炎をこじらしたのだろう。
私が一五歳の時に死んだ母の日記が残っていて痛がって泣く子の傍らで自分も泣きながら
書き記したのだろう。ごめん、ごめんの青いインクの文字が滲んでいる。
父親には呼んでるのに返事が無いと飛んできていきなり平手打ちをくらわされた
ことがある。よっぽど虫の居所が悪かったのだろう。殴られたのは後にも先にも
これだけである。
よく聴こえないというのが私にどう影響を与えたかは分からない。そうではなかった
生き方を知ることなど出来るはずもない。
ただ私は無謀にも歌っている時が一番幸せだという理由で歌手を志した。
複数音の聞き分けや小声が聴こえなかったり、それに音がステレオにならない。
若さ故というか無知だったとしかいいようがない。
それに四十歳を過ぎた辺りからずっと左は耳鳴りが続いている。年に二,三度
何かの拍子に止む時がある。
人は多かれ少なかれハンデを抱えているだろうし、だからこそ工夫しながらやって
いけるのかも知れない。私の耳が好かったら恐らくカラオケ教室などやってないと思う。
正直今ですら下手な歌を聴くのは苦痛を感じる。しかし歌は上手い下手に限らず
歌う人の背景がでる。それを見て言葉を選ぶ、そこで変わっていく生徒いたりすると嬉しい。
先日琉球補聴器からPHPという雑誌(地域限定版)に載せるとか「補聴器のある生活」
というテーマでコメント記事を頼まれた。字数制限があったので書き足りないこなど
ここに記してみた。
2012年03月25日
沖縄の基地問題
先月のことだが「沖縄の基地問題はどうして解決しないのか?」
という話で内田樹氏が沖縄タイムス社の取材を受けたとか
私はタイムスを購読してないので内田氏のブログで読んだ(内田樹の研究室)
内田氏の主張は以前から一貫しているのだが気になったのは
「県民の91%が基地の縮小・撤収を要求している」という命題のデータの
信憑性についてである。私はマスコミのデータをあまり信用してないが
この数値も恣意的だと思う。そうでなければアメリカや日本政府の対応が
内田氏が指摘する返還された韓国やフリッピンのようにもっと違っていたはずである。
尤も沖縄の基地あってバランスシート上応じられた要求と取れなくもない。
先月北谷町の軍用地主会の役員をやってる方が北野たけし氏らがやってるテレビ番組
「ニュースキャスター」で地主代表としてインタビューに答えていた。
「返還によって生活基盤が失われるのが不安だとか・・・」正しく本音だろうが
それを見た全国の方々はどう思ったのだろう?
確か今頃軍用地値上げ交渉の最終段階ではなかろうか、市街地に比べて借地料が
安いと訴えてるようだが何か可笑しい。極めて個人的な問題ではないか。
テレビに出てた方が偶々私の歌謡スタジオの生徒で
暮れから地主会のことで忙しくなるからという理由で休んでいる。
私の知り合いや生徒に軍用地主や軍作業(地元ではこう言う)に就いてた人が
多勢いる。背に腹は代えられないというか誰も返還など口にしない。
そして特に沖縄のマスコミは恣意的にそれらを数値化しないのだろう。
例えば東洋一と言われるアメリカ軍の飛行場を抱える嘉手納町は失業率が日本一
高いとされる沖縄県の中でも一番高い。その理由は仕事をすると税金に持って
行かれるからからだとか、軍用地料の税金対策が仕事みたいな方も
いるだろう。こういう方たちに文句を言うつもりは毛頭無い。
これははからずも3・11以降明らかになったように構造的には原発問題と
同じである。政治のシステムに組み込まれている以上、システムが変わらないと
小手先だけで基本的に変わらないというか変えられないのだろう。
ただ違うのは沖縄の基地問題が多くの人にとって他人事だったのに対し
原発問題は多くの人が我が身として受け止めざるを得ないということか・・・
という話で内田樹氏が沖縄タイムス社の取材を受けたとか
私はタイムスを購読してないので内田氏のブログで読んだ(内田樹の研究室)
内田氏の主張は以前から一貫しているのだが気になったのは
「県民の91%が基地の縮小・撤収を要求している」という命題のデータの
信憑性についてである。私はマスコミのデータをあまり信用してないが
この数値も恣意的だと思う。そうでなければアメリカや日本政府の対応が
内田氏が指摘する返還された韓国やフリッピンのようにもっと違っていたはずである。
尤も沖縄の基地あってバランスシート上応じられた要求と取れなくもない。
先月北谷町の軍用地主会の役員をやってる方が北野たけし氏らがやってるテレビ番組
「ニュースキャスター」で地主代表としてインタビューに答えていた。
「返還によって生活基盤が失われるのが不安だとか・・・」正しく本音だろうが
それを見た全国の方々はどう思ったのだろう?
確か今頃軍用地値上げ交渉の最終段階ではなかろうか、市街地に比べて借地料が
安いと訴えてるようだが何か可笑しい。極めて個人的な問題ではないか。
テレビに出てた方が偶々私の歌謡スタジオの生徒で
暮れから地主会のことで忙しくなるからという理由で休んでいる。
私の知り合いや生徒に軍用地主や軍作業(地元ではこう言う)に就いてた人が
多勢いる。背に腹は代えられないというか誰も返還など口にしない。
そして特に沖縄のマスコミは恣意的にそれらを数値化しないのだろう。
例えば東洋一と言われるアメリカ軍の飛行場を抱える嘉手納町は失業率が日本一
高いとされる沖縄県の中でも一番高い。その理由は仕事をすると税金に持って
行かれるからからだとか、軍用地料の税金対策が仕事みたいな方も
いるだろう。こういう方たちに文句を言うつもりは毛頭無い。
これははからずも3・11以降明らかになったように構造的には原発問題と
同じである。政治のシステムに組み込まれている以上、システムが変わらないと
小手先だけで基本的に変わらないというか変えられないのだろう。
ただ違うのは沖縄の基地問題が多くの人にとって他人事だったのに対し
原発問題は多くの人が我が身として受け止めざるを得ないということか・・・
2012年03月22日
原初体験
私の原初体験は一種のパラドックスと言うか意識の無限遡行だった。
5歳位の時だったと思う。
道路を横断中、突然「この道路を歩いているのは自分だ」と思った。
するとそう思っているのも自分だ、そしてまた・・・と際限が無くなり
自分の存在がどんどん稀薄になって消えて行きそうな恐怖に襲われ
自分の名前を呪文みたいに唱えながら、天空に消えて行きそうな自分を
何とか地上に取り戻した。ホムンクルスの小人みたいなものかも?
以来その感覚は時々私を襲う様になった。恐怖も慣れて来ると
「あっ!来た来た」という感じで思春期の頃にはある種快感だったりした。
成人してからはだんだんと薄れていったが、その感覚の残滓は未だ残っている。
それは私の脳の癖みたいなものなのだろう。
中学生になった頃である。テーブルにある粉ミルクの缶の写真(実際はイラスト)
を見て不思議に思った。赤ちゃんがぺたんと座って粉ミルクの缶に手を添えて
いるのだが、その添えている缶の画も同じでそして・・・と視覚的にはともかく
意識的には無限遡行である。
そういう子は大体大人になるのに苦労するか、成り損ねる。
しかし、矛盾や逆理は学問のあらゆる分野にということは我々の日常そして
政治的に存在し続ける。
これまでそれを無いモノとして扱う生き方が主流だったようだが
これからはそれを抱え込んで生きていかざるを得ないだろう。
パンドラの箱のふたが圧力で開いた感がある。自分も含めてどこまで
他人事でいられるのだろう・・・
そういえば十数年前、自宅近くにある飲み屋街で面白い看板を目にした。
『美人スナック・嘘』とある。酒は飲めないし一人で入る気もないが
ちょっと覗いてみたいと思った。
そこにいる女性は美人なのかそうではないのか?という問題です。
よろしかったら考えてみて下さい。
5歳位の時だったと思う。
道路を横断中、突然「この道路を歩いているのは自分だ」と思った。
するとそう思っているのも自分だ、そしてまた・・・と際限が無くなり
自分の存在がどんどん稀薄になって消えて行きそうな恐怖に襲われ
自分の名前を呪文みたいに唱えながら、天空に消えて行きそうな自分を
何とか地上に取り戻した。ホムンクルスの小人みたいなものかも?
以来その感覚は時々私を襲う様になった。恐怖も慣れて来ると
「あっ!来た来た」という感じで思春期の頃にはある種快感だったりした。
成人してからはだんだんと薄れていったが、その感覚の残滓は未だ残っている。
それは私の脳の癖みたいなものなのだろう。
中学生になった頃である。テーブルにある粉ミルクの缶の写真(実際はイラスト)
を見て不思議に思った。赤ちゃんがぺたんと座って粉ミルクの缶に手を添えて
いるのだが、その添えている缶の画も同じでそして・・・と視覚的にはともかく
意識的には無限遡行である。
そういう子は大体大人になるのに苦労するか、成り損ねる。
しかし、矛盾や逆理は学問のあらゆる分野にということは我々の日常そして
政治的に存在し続ける。
これまでそれを無いモノとして扱う生き方が主流だったようだが
これからはそれを抱え込んで生きていかざるを得ないだろう。
パンドラの箱のふたが圧力で開いた感がある。自分も含めてどこまで
他人事でいられるのだろう・・・
そういえば十数年前、自宅近くにある飲み屋街で面白い看板を目にした。
『美人スナック・嘘』とある。酒は飲めないし一人で入る気もないが
ちょっと覗いてみたいと思った。
そこにいる女性は美人なのかそうではないのか?という問題です。
よろしかったら考えてみて下さい。
2012年03月19日
こころ音プロジェクト
東日本大震災から一年が経った。
震災の翌日から私の教室でも生徒へメッセージを出し義捐金の協力を
呼びかけたりしたのだが、事が大き過ぎて未だ頭の整理がつかない。
そして恐らくつかないままなのだと思う。
人間の一番の能力は忘れる事で二番目は思い出せる事だと昔聞いた。
よく何かが起こる度マスコミ等で紋切型に私達はこのことを忘れない様
云々言ってるが思い出せるだけでいいのだと思う。そして自分に余裕があれば
何か出来ることを自ら問えばよい。
中には勘違いしていると言うかよく考えもせず声高に言い続けることが好い事
の様に思っているのだろうが人の良心を担保しているのは一種の後ろめたさだと
思うし、それを我々は無意識にせよ共有してるのだと思う。
特に原発問題はそうだろう。
ジャスラックの会報に東日本大震災からの被災地の音楽文化の振興を
音楽作品によって支援する『こころ音プロジェクト』というのがあって
協力するというのもおこがましいが作品の使用分権を寄付という形で参加
させてもらった。
去年の11月だったか生徒(琉球舞踊の先生)が東北へ慰問に行くのだが
私の作品『陽は又昇る』を彼の地の方たちに聴かせたいからと音源を持って
いってくれたという経緯もある。
先日届いた日本音楽著作権協会・会報3月号に新たな参加作品として載っていた。
今でこそ故郷は地球というメッセージで溢れてるが、15、6年前そういうテーマで
作ったのだがよく難しいと言われた。ずっと歌い続けてうちの教室のテーマソングと
言うか、生徒もカラオケでよく歌ってくれている。
よろしければ通信カラオケでチェックしてみて下さい。その都度1円程が被災地への
寄付金になります。
震災の翌日から私の教室でも生徒へメッセージを出し義捐金の協力を
呼びかけたりしたのだが、事が大き過ぎて未だ頭の整理がつかない。
そして恐らくつかないままなのだと思う。
人間の一番の能力は忘れる事で二番目は思い出せる事だと昔聞いた。
よく何かが起こる度マスコミ等で紋切型に私達はこのことを忘れない様
云々言ってるが思い出せるだけでいいのだと思う。そして自分に余裕があれば
何か出来ることを自ら問えばよい。
中には勘違いしていると言うかよく考えもせず声高に言い続けることが好い事
の様に思っているのだろうが人の良心を担保しているのは一種の後ろめたさだと
思うし、それを我々は無意識にせよ共有してるのだと思う。
特に原発問題はそうだろう。
ジャスラックの会報に東日本大震災からの被災地の音楽文化の振興を
音楽作品によって支援する『こころ音プロジェクト』というのがあって
協力するというのもおこがましいが作品の使用分権を寄付という形で参加
させてもらった。
去年の11月だったか生徒(琉球舞踊の先生)が東北へ慰問に行くのだが
私の作品『陽は又昇る』を彼の地の方たちに聴かせたいからと音源を持って
いってくれたという経緯もある。
先日届いた日本音楽著作権協会・会報3月号に新たな参加作品として載っていた。
今でこそ故郷は地球というメッセージで溢れてるが、15、6年前そういうテーマで
作ったのだがよく難しいと言われた。ずっと歌い続けてうちの教室のテーマソングと
言うか、生徒もカラオケでよく歌ってくれている。
よろしければ通信カラオケでチェックしてみて下さい。その都度1円程が被災地への
寄付金になります。
2012年03月16日
構造主義的
冬場というか空気が乾燥している時期
ドアノブやマイク等金属に触れた時に起きる静電気の放電現象を
自分が帯電しているとかでは無く、触れたモノのせいだと思ってたりする。
金属でなければ放電は起きないがそれは人とモノの関係である。
でもその現象を何でだろうと普通の大人はあまり考えないみたいだ。
学校で一応教わったとは思うが思考回路のせいかも知れない。
答えが外にあるとかなり単純化出来るしあまり考えなくてすむ。
でも多くの問題は自分と相手との関係性にある。
1980年代に当時フランスの大統領だったミッテラン氏が来日した時
偶々テレビのニュースで見たスピーチが印象に残っている。
「今日我々は好む好まざるに関わりなく構造主義的に考えざるを得ない」
フランスでは構造主義と言う言葉がこの様にというか日常的に
使われているのかと・・・
そう言えば昔1493年コロンブスによってアメリカ大陸が発見されたと
教わったが、今の教科書もそう書いてるのだろうか?
ドアノブやマイク等金属に触れた時に起きる静電気の放電現象を
自分が帯電しているとかでは無く、触れたモノのせいだと思ってたりする。
金属でなければ放電は起きないがそれは人とモノの関係である。
でもその現象を何でだろうと普通の大人はあまり考えないみたいだ。
学校で一応教わったとは思うが思考回路のせいかも知れない。
答えが外にあるとかなり単純化出来るしあまり考えなくてすむ。
でも多くの問題は自分と相手との関係性にある。
1980年代に当時フランスの大統領だったミッテラン氏が来日した時
偶々テレビのニュースで見たスピーチが印象に残っている。
「今日我々は好む好まざるに関わりなく構造主義的に考えざるを得ない」
フランスでは構造主義と言う言葉がこの様にというか日常的に
使われているのかと・・・
そう言えば昔1493年コロンブスによってアメリカ大陸が発見されたと
教わったが、今の教科書もそう書いてるのだろうか?
2012年03月14日
見た目と言う直感
よく見た目で人を判断してはいけないと言うが基本的には見た目と言う
直感の方が正しいのだと思う。
我々はヒトとして社会を形成した時から、そして赤ん坊の時から無意識に
相手の表情を読み取り、判断しコミュニケーション能力を育てていった。
それは社会の中で生きていくのに欠かせなかっただろうし、その能力に
長けた者が指導的な立場にあって、祭事などを司ったり、相談に乗ったり
していたのだろう。
シャーマンや優れた占い師というのは見た目と言うか直感で人をカテゴライズ
出来るだろうし、そこで用いられるツールはお互いがトランス状態に入り易く
する為の装置にすぎない。直感力はある種アプリオリな資質でそれを経験等で
ブラッシュアップしながら確率の精度を高めていくのだろう。
見た目と言えばアメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンが
知人の推挙した人物を彼の顔が気に入らないと断ったと言う有名な話がある。
その理由は男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだと・・・
要するに見る人が見ればその表情や言動から人となりが分かると言う事なのだろう。
考えてみれば好い齢になっても見た目で人を判断出来ないと言うのは見る目が
無いと言ってる様なものである。
尤先入観や思い込みで判断してはいけないと言う戒めの意味もある。
我々の思考は社会的通念の呪縛から容易に逃れられるものではない。
それをバカの壁と言ったのは養老先生である。
最も偉大な大統領の一人であるリンカーンですらインディアンに対する
徹底排除の姿勢等その呪縛から逃れえなかったのである。
しかしそれが彼の評価を貶める事にはならない。人はそういうものだと
我が身に置いて学ぶべきだろう。
直感の方が正しいのだと思う。
我々はヒトとして社会を形成した時から、そして赤ん坊の時から無意識に
相手の表情を読み取り、判断しコミュニケーション能力を育てていった。
それは社会の中で生きていくのに欠かせなかっただろうし、その能力に
長けた者が指導的な立場にあって、祭事などを司ったり、相談に乗ったり
していたのだろう。
シャーマンや優れた占い師というのは見た目と言うか直感で人をカテゴライズ
出来るだろうし、そこで用いられるツールはお互いがトランス状態に入り易く
する為の装置にすぎない。直感力はある種アプリオリな資質でそれを経験等で
ブラッシュアップしながら確率の精度を高めていくのだろう。
見た目と言えばアメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンが
知人の推挙した人物を彼の顔が気に入らないと断ったと言う有名な話がある。
その理由は男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだと・・・
要するに見る人が見ればその表情や言動から人となりが分かると言う事なのだろう。
考えてみれば好い齢になっても見た目で人を判断出来ないと言うのは見る目が
無いと言ってる様なものである。
尤先入観や思い込みで判断してはいけないと言う戒めの意味もある。
我々の思考は社会的通念の呪縛から容易に逃れられるものではない。
それをバカの壁と言ったのは養老先生である。
最も偉大な大統領の一人であるリンカーンですらインディアンに対する
徹底排除の姿勢等その呪縛から逃れえなかったのである。
しかしそれが彼の評価を貶める事にはならない。人はそういうものだと
我が身に置いて学ぶべきだろう。
2012年03月12日
心って?
ここの所テレビのワイドショーなどオセロ中嶋に関する話題で
持ち切りだったが、インチキ占い師とそうでは無い占い師の
違いって何なのだろう?
それにしてもパワーストーンやパワースポット、血液型に風水がどうだとか
日本人は好きですよね~
卑弥呼を例にとるまでも無く、原初の営みとして人は占いや神話など信仰
なくして社会を構成することは不可能だったろうし、権力も生まれなかっただろう。
人の心の魑魅魍魎は例えばユングのいう集合無意識、星の強制力として社会の
システムに組み込まれ、そこにおいて狂気の海を上手く泳げた人が
この世とあの世の階を行き来する、即ちシャーマンとしてそれを信じ必要とする
人々に支えられ社会的な役割を負ってきたのだろう。
当然それを利用して金儲けや権力を手に入れようとする輩は後を絶たない。
けれども騙す、騙さないの境目はかなり曖昧である。
私は色々なモノが見えたり、聞こえたりする人達と関わらざるを得なかったから
そのことについては嫌でも考えさせられた。
「心は脳の機能である・・・」という養老先生の『唯脳論』が世に出て二十年
以上が経つ。脳についての認識も大分変った。解明されつつあることも色々あるが
やはり心は不思議のままである。
ただ魑魅魍魎の住処は人の心の中だという認識だけは忘れずにいたい。
持ち切りだったが、インチキ占い師とそうでは無い占い師の
違いって何なのだろう?
それにしてもパワーストーンやパワースポット、血液型に風水がどうだとか
日本人は好きですよね~
卑弥呼を例にとるまでも無く、原初の営みとして人は占いや神話など信仰
なくして社会を構成することは不可能だったろうし、権力も生まれなかっただろう。
人の心の魑魅魍魎は例えばユングのいう集合無意識、星の強制力として社会の
システムに組み込まれ、そこにおいて狂気の海を上手く泳げた人が
この世とあの世の階を行き来する、即ちシャーマンとしてそれを信じ必要とする
人々に支えられ社会的な役割を負ってきたのだろう。
当然それを利用して金儲けや権力を手に入れようとする輩は後を絶たない。
けれども騙す、騙さないの境目はかなり曖昧である。
私は色々なモノが見えたり、聞こえたりする人達と関わらざるを得なかったから
そのことについては嫌でも考えさせられた。
「心は脳の機能である・・・」という養老先生の『唯脳論』が世に出て二十年
以上が経つ。脳についての認識も大分変った。解明されつつあることも色々あるが
やはり心は不思議のままである。
ただ魑魅魍魎の住処は人の心の中だという認識だけは忘れずにいたい。



